これ割と僕の理想論なんだけど、
でも、僕の本質は「人間生まれた時から大体悪者」
って「生悪説」論者な矛盾
で、これ見て 共感したね
まあ、環境の違いすぎる人でも、「障害を乗り越えて、お互い理解し合おう」という動機付けと意志があれば、プロトコルを共有してコミュニケーションが成立するところまで届く(こともある)。
— ultraviolet (@raurublock) 2020年6月21日
問題点として、Twitter では、そういう動機付けも意志も無い人同士が、繋がってしまうのだよな https://t.co/VGxFC9x2Vc
そう思っててっも、無理があるな~~~~って
最近の実感だからさ
【親友の定義】
20年くらい思い続けてた結論として
・年数
・嘘偽りなく全てを話せるか
コレダナッテ。
ちなみに友達の定義は小学一年生に決めてて
「その子のウチを知ってて 遊んだことがある」事!
これ其の1年以内にも凄い改定されてて
遊びに行ったら
だと 遊びに行けない 友達がどうしてもいて
あと、単純にかみ合わなくて家に行かない事も在ったので10年間これで通したw
で20才前後
遊ぶ場所が友達の家 じゃ なくなって またちょっと改定したんだよねw
まぁ、最近改めて思ったのが
「コレだけは言える。自分はいい友達を沢山持って居る」って事
ありがとうHeg