老いと×多様性と×価値

純粋に能力だけ考えると人間や動物は 年老いると「価値がなくなる」と思っていた。

実際、いまもそう感じる。


しかし、老いが始まった瞬間から「価値観」を作り
(或いは、体力の衰えを実感した瞬間から)
「老い」に反論というか、対抗するために多くの物差しは作られているのだと思う。

逆の例えで、
競争・対人戦であれば、〇ー✖ 勝ちー負け の2者択一でよいのだから。


「老い」と「若さ」逆に言うと

若さとは?「多様的に 多くの能力・競技・料理でもなんでもe.t.c.(価値の基準となる)基礎能力を上げる事」(時期)なんだなぁ~と痛感している。

「若い頃の苦労は買ってでもせよ」とは、「オールA目指すのが若さっしょw」

とも言えるwww

と 言うのも、今日改めて
「無暗やたらと暴言・失言 を言う不快な人間」について考えたからだ。

不満や愚痴の多い人間は嫌われる。が、一般人の不満の声の総量にそんな大差はない。
その差は、
⇒どこで、だれに、どれだけの量・内容 漏らすかだ。(と思う)

妄信的な、コミュニケーション不足の人間は
「コミュニケーション不足」⇐⇒「自己肯定感低い」=「嫌われてる・嫌がれれてる」
だ!

そうだね。読み直して気付いたけどコレは合ってて。

【コミュニケーション不足の人間】=【自分を持ってない】=【こども】

だね。

能力=こども  では無いんだね。
能力⇒認知⇒コミュニケーション=おとな   なんだ。

じゃぁ、コミュニケーションってなんなの?具体的に?
ってなって「褒める事なんだ」って改めて気付いたね。


職人が、「職人気質で口下手」ってのは「目は口以上にモノを言う」の上を行く
「人生をかけた仕事は全手のモノがを物語ってる」とも言えるから。


議員や村長、県知事、総理大臣、大様

多様化した能力に価値を測れる能力を持ってはじめて


議員だったり、社長とするべきなんだなぁ~


まぁ、親の在り方も そうなんだろうな
(Sexすれば生まれるけどそう言うことではなく)と思った。