「決める事」と「解る事」って同じ意味な感覚

ただ、過程が違うから厳密な意味合いが違うっぽい


【決める】は数ある選択肢の中から「絞る」迄が一般的な決めるなんだろうな。自分はそこに1つに絞る「責任」や「意志」も含めて「決める」って思ってる。けど、服選びや食事選択決めるは普通は「想定してある程度の扱いやすい数に絞る⇒その後テキトーに選ぶ」なんだな

ショッピングセンターや百貨店商店街が1番感覚論の理にかなってて

その商業施設を決めるまでが一般的な「決める事」で入る店、食べる・買う店は気分や気持ちよさ等優先なんだよね(あとお金か。。。


本当に【解る】事・時の感覚って決めるときに近くて
地球上、理論上、立場上 その環境における「役割」や「仕事(効率!?)」や将来性なんかが予想・体感出来た時
未来予知のパーツづくりだよね

自分って、決める事と解ることの垣根を取って一緒くたにしてたなと思う。
選んでる途中=決める作業 って「解る」ことや「結果」に対して無駄が多いなとしていたことが余りにも多い。

そりゃ
弱い人間に対して良くないな。高圧的だな。押し付けている感覚を受けるだろうな。
そう言うことと理解した。ってはなしだな



だから、「強い人間」ってその分野の先駆者
つまりは「経験」⇒からくる「実績」⇒心や決める意志の弱い人への「安心感」

こう言うことを【強い】って言うんだろうな

だから、負けても強くなる理由ってそういう事なんだ



だから、喋らない、経験を隠す、安心感んを与えれないってのは疑似的な弱者
還元能力がわるい