イメージの精度とは、まやかし

イメージの精度について競ってくる奴がいたから。
或いはそう言う人って一定数居るから

自分も対抗心燃してた。

でも違ったね。


イメージ=小学校の教科書
なんだ!

その人の、設計図みたいなもので

簡単な基礎中の基礎で大事なんだけど、ふつうはそう言ったレベルでは無いんだよ。


大人の戦いは。



じゃあ、なんでそんな不確かなモノで競ってくるか?と言うと。

嘘をついて自分を、大きく見せたいからなんだよね。

面と向かって、議論ですらする事はなく
結果や実績で戦うと負けてしまうから

言い訳のしやすい「コトバの世界」
「イメージと言う絶対的に実態の無いもの」
「説明のつかないもの」(今回σ(゚∀゚ )オレは、出来たけど)
で勝った気持ちにひたる。



夢でもし勝てたら〜♪ってかっこ悪いうたは出ないだろうな(笑)


因みに
勝ちを目指すと
イメージ←→目標→真剣⇒集中⇒論理的→機械的

ってなるんだよね。
だからイメージばかりで語る人は許せないって人が居て
同意だったんだけど。
イメージは論理を超えないってのがちょっと違うな?
と、詰めて云ったら

発見

人が発達すると
ルール(機械性)=モラル(道徳)=論理=イメージ

をほぼ同化させるし、そう考えるよね。いや、出来るようになるんだよね。



まぁ、自分の遊戯王に例えると
ルールは覚えるだけだけど
σ(゚∀゚ )オレの中でモラル、理論、イメージってそんな差が無いんだよね。
ソレが出来ない場合、圧倒的無知だったりする

ルール覚えるの面倒くさいのはめっちゃ判るけど
無知は、すごく恥ずかしく思うし
反面、知ってたり出来たりする人は尊敬してきた。


あー。DA・KA・RAなぁー圧倒的無知を隠すために、
モラルがない!
頭が悪い
イメージ力我ない

って、想定しづらいもので、相手を煙にまきながら避難するんだね。


因みに、一見普通なようで駄目な人間ってのが
モラル、理論、イメージ
コレラの数値を限りなく低くして全てをリーダーに任せると言う選択肢を取ること。


またその様な人間たちを
成長しない、弱い人って思うしそう定義づけれる