仕事と能力って関係ない。勘違いしてはならない

とくに小さい頃は勘違いしてた。
能力主義に見せかけた誤魔化しは、年長者、ダメな年長者がコレからも脈々とやり続ける悪しき習慣なんだと思う。
何故なら2つの原因と理由

・人は怠惰で努力するより⇒相手を利用して蹴落とした方が効率的(実はコミュニケーションという自分の徳を失っている)
・↑もあるけど、物事のふんべつがつかないモノに言い訳が減る、逃げ道の確保が難しくなる。自分の心の余裕を確保したがる

よくある最凶、最低の武器
「(私は貴方より能力が高いのに)なんでそんなにお前は能力が低いんだ(私が迷惑ではないか!?【怒】)」
コレは子供のダダっ子の悪い進化系。「ね~コレ買って!やだやだやだやだ」
を、あたかも自分に全く責任が無い様にカモフラージュしている。

先ず
1其の事を完遂したいのか?そうでなく教えたり喋りたいだけなのか?自分の気持ちと頭をクリアにしなければならない、が、出来ていない
また、自分の言語能力に問題が在るのかどうか?言う内容・相手の成否が前提問題にも繋がっている
2「私は能力が高いのに」にはその発言者の個人の価値観から見下す事で精神的優位を取るってシェアが大きすぎる事も非常に多い。
3(私が迷惑なんだ)は余りにも自己中心的特にソレを口にせず、文や雰囲気に含ませるのは正に狡さの象徴。
改善の必要性。また、本当に迷惑で改善が必要な場合、衆知の義務。自分以外への明確な迷惑人数・範囲の明示自分の管理、フォロー能力の問題的


ここら辺が、そりゃまぁ小学生でもある程度わかる。

これを、理解整理出来ず大人になり、周りに押し付け暴れまわる。はずかしい。みっともない。生き恥。無知の知

 

障碍者など物理的に明白に能力が劣るものを想定すると、利己的なこの考えが現代社会でどれ程愚かで勿体ないのかわかる。


そもそも、人は自然はバランス、調和、平均を保とうとする。それは広く全体的に視野、範囲を広げた場合だ。
つまり、人においては「足並みをそろえる」だ!


コレのメリットは1番「自分という存在の確認」=自分の長所≒自分の「好き」の確認・発見

これは、大事な遺産なのに 全て相手のせいにして、問題を、気づきをゴミ箱に捨ててるのだ。成長の機会をだ!


コレは、人を思いやったり、ふつうにバランスを取ろうとすると自然と気付くものなのだ。そのバランスのとり方こそ、やる気なのかも知れない