富山市と砺波市について、チョット仕事の歴史的な話をした。自分には通れない人生の選択肢の様な考え方で。
すると、僕視点まとめ「富山市は仕事が多いからそこで沢山仕事してたし、なんならしてるよ今も」「逆に、(その人達は)砺波市で仕事したいけど、どうしても出来ないね~全部は」ってはなしに成った。
自分の経験と、今のリモート仕事、授業みたいな状況も考えも含めて「現実性、物質性が少ないものはどうしても価値が下がる」って知ってるし
そのうえで「(地方の)地元で仕事はどうしても少ない。だから難しいし価値がある」
≒【みんながみんな、効率的で快適に仕事・生活するのは無理】⇒なぜなら、世の中が便利になり過ぎて慣れ過ぎたツケ
って、理解できた。
コレって自分で事業を起こして社長としてやるコトとおんなじで。効率的で快適な仕事空間は作れるけどキッカケや資本の用意は非常に難しく苦しい。ってはなしと同じ。
だから、社会は若手や子供を育てるし地元を豊かにしようとやりくりするよね。
だから、地方の衰退は極論勝負の世界競争に負けたのと、親の育て方が悪い、親の頭が悪いってはなし
まーでも。そもそも、知恵のある人間って1~10%程度だから地元に残らないけどね。自分の経験でも。
少しの事、努力でも惜しまない人間に成れるかどうかがタイトル通り【価値】なんだなと改めて、30~40年の仕事が証明してくれたっておはなし