いいなって凄く思うし、恵まれた家族。

そう在ろうとすることが素晴らしい。

 

グランドスラム優勝支えた“素人”コーチ…テニス柴原瑛菜選手

2022年6月30日 15:28 NHK NEWS

最後は、みずからのサービスエースでつかみ取った、グランドスラム初優勝。赤土のコートで、両手を高く突き上げました。

今月はじめ、テニス四大大会・全仏混合ダブルスを初制覇した、柴原瑛菜選手(24歳)。苦しい時も笑顔を絶やさず、鋭いサーブとボレー、そして男性選手に負けない力強いリターンを連発しました。

躍進を支えてきたのは、コーチ経験ゼロだった父親が率いる“チーム柴原”でした。コートの裏側をのぞきます。

原点だった混合ダブルス

柴原 瑛菜選手
「混合ダブルスでのタイトルは、私にとって本当に特別な意味がありました」
父親の仕事の関係で移住したアメリカ・カリフォルニア州で生まれ育った柴原選手。5人家族の末っ子で、テニスとの出会いは、7歳の頃に始めた、両親と2人の兄との混合ダブルスでした。

家族で楽しむ一方、まだ幼かったことから、コート上の“5番目”のプレーヤーとして、いつも任されるのは球拾い役ばかり。自分も早く加わりたい、その一心で幼少期は練習に励んできたといいます。

「いつかプロになって、みんなに勝ってみせる」と無邪気に家族に宣言したのが、柴原選手の原点でした。

コーチ経験ゼロ 父との二人三脚

今回のグランドスラム初優勝、家族にとっても、喜びはひとしおでした。テニスを始めた頃からコーチを務めてきたのが、父親の義康さん(64歳)です。

柴原選手を全仏優勝まで導きましたが、実は、コーチの経験が全くありませんでした。
柴原 義康さん
「勝ってもちろんうれしかったんですけど、なんていうか、私はコーチの素人じゃないですか。やってきたことが正しかったかどうかというのは疑問だったことがいっぱいあったんですね。自分自身も不安だったし、いろいろやって勝てなくなったらどうしようとずっと思っていました」
ふだんは会社員。
大学では軟式テニス部だったものの、コーチの経験はゼロ。
さらに、子ども3人にコーチをつける経済的な余裕もありませんでした。

でも、娘が大好きになったテニスのために、できることは何でもしたい。考え出したのは、“自分”も娘と一緒にテニスを学ぶことでした。

義康さんは、毎回お兄さんが別のコーチにテニスを習う様子をビデオカメラで撮影し、その動画を寝る時間を削って、毎夜、研究しました。そして独学で、柴原選手に指導してきたといいます。

放課後の練習をはじめ、数々の試合やツアーなどにも欠かさず同行。ジュニア時代、高校、大学とさまざまなコーチと出会ってきましたが、義康さんがいつもいちばん近くで柴原選手を見守ってきました。

多くの選手がプロのコーチに師事したり、テニスアカデミーなどに入ったりする中で、プロ転向後も、変わらずいまも親子で歩んでいます。

柴原 瑛菜選手
「テニスを始めた頃から、父は私にとってナンバーワンのコーチです。私がちゃんと正しい方向に歩めているように、本当に数え切れない時間を、もしかしたら私以上に、テニスに時間を注いできてくれたかもしれません。さまざまなコーチから指導を受けてきましたが、父をいちばん信頼していたし、一緒にやってきたことを疑ったことは一度もありません」
義康さんは、なぜそこまでコーチにのめり込んでいったのか?
柴原 義康さん
「どんどん新しいことを吸収して、それを子どもたちに言って、思ったよりもうまくなっていったんですよね。それを見ていてもすごく楽しかった」
でも、お話しされたのを横で聞いていた母親の幸子さん(61歳)からは、こんな一言。

柴原 幸子さん
「私が思うに、本当は主人がやりたい(義康さん「あ、そうすね」)。自分がやりたいんです。自分が研究して自分がやりたい。その延長線上に子どもたちがいたんじゃないかと。本当は、自分。自分がいちばん楽しいんです」

これで、スイッチ“ON”

柴原選手には、今回の全仏オープンでも支えとなった大切な習慣がありました。両親のアイデアで、子どもの頃から続けてきた“テニスノート”です。

中には、これまでの気付きや自分を励ます前向きなことばなどが書き留められています。

試合中、思うように打てず気持ちが落ち込んだとき、コートチェンジの際にこのノートを見返して、気持ちをポジティブに切り替えてきたといいます。

柴原 瑛菜選手
「“気持ちを強く、勇敢に、そしてポジティブでいること”と母からのことばを毎回ノートに書いています。今回の全仏混合ダブルスでも調子が悪かった試合があって、ノートを見返して気持ちをリセットすることができました。苦しいときに力を取り戻すきっかけになったんです」
そしてもう一つ。このノートには、父親の仕掛けもありました。

勝つためにできるかぎりのことをしたいと考えていたところ、義康さんにあるアイデアが浮かんだのです。
柴原 瑛菜選手
「実は父がよくノートに“スイッチ”の絵を描いてくれていたんです。“オン・オフ”スイッチって家族では言っていました。紙の上だったけど、試合中、苦しいときにその絵を親指で押して、気持ちのスイッチをオンにしていたんです」

ご両親が見せてくれた昔のノート。何度も触って自分を鼓舞してきたため、絵もすり減っていました。幼い頃からスイッチを活用してきた柴原選手ですが、いまはまた別のスイッチに進化しているそうです。
柴原 瑛菜選手
「これまではノートに書いていましたが、いまは試合で使う飲料ボトルの蓋がスイッチです。蓋が開いているときはドリンクを飲む“オフ”の状態で、カチっと蓋を閉めたときが、戦う気持ちを注入する合図にしています」

自慢の妹のために

今回のグランドスラム優勝、父親だけでなく、家族一人一人も大きな原動力でした。

混合ダブルスでみせた、相手男性選手にも打ち負けない力強いストロークは、幼い頃から、同じくプロを目指してきた2人の兄と打ち合う中で培われてきたものでした。

そして、そんな兄たちも、自慢の妹のために、いま別の形で支えています。

長男の瑞樹さん(32歳)は、柴原選手のマネージャーであり、身体のコンディションを整えるトレーナーも兼務。

そして次男の鷲平さん(29歳)は、柴原選手のヒッティングコーチとして海外遠征などに同行し、昨年の東京五輪までの道のりをサポートしてきました。

柴原選手は、コロナ禍で本当に苦しかった時期、自分ひとりではここまでくることはできなかったと振り返ります。妹の活躍を通して、かなえられなかった夢の続きをともに歩んでいます。

そして母娘の“笑う門”

そして、どんなときも心の支えである母親の幸子さん。

教えは、コート上では礼儀正しく、笑顔を絶やさないこと。これまで母と娘が大切にしてきた“合言葉”がありました。
柴原 幸子さん
「いつも言っているのは、笑う門には、福来たる。試合中つらいときも、笑顔でいたら、絶対良いことあるよって。いつも笑顔でいたら、みんなが幸せになるよって。試合前に必ず娘が電話をかけてくるんですね。そこで私が『笑う門には』というと、瑛菜が『福来たる』って言って、コートに送り出しているんです」

家族でつかんだ快挙

柴原 義康さん
「優勝できたことで、自分が教えてきたことが正しかったんだと思えました。今までのことがようやく実ってきたんだと。自分自身にも自信を持てて、これからもっと進んでいきたい。でも、ここからだなと。一歩踏み込めたという感じですね」
義康さん、コーチとしてではなく、父親としてはこんな思いも。
柴原 義康さん
「昔から世界のいろんな所に行きたいなというのがあって。だからパパをいろんな所に連れて行ってくれてありがとう、みたいな感じです」

次の戦いは、四大大会のウィンブルドン選手権。柴原選手は女子ダブルスに出場します。
柴原 瑛菜選手
グランドスラムで優勝することができたので、自信を持って、次の大会に臨めると思います。みなさんには、調子が良くない試合でもコート上で楽しく、エネルギッシュでポジティブなプレーヤーとして見てもらいたいです。家族のために、またトロフィーを持ち帰りたいですね」

今回の取材の起点は、柴原選手が全仏試合後の優勝インタビューで語っていた、家族への感謝でした。

一体どんな家族なのだろう?
直接聞いてみると、改めて、彼女のプレーや笑顔の背後にある、“チーム柴原”の大きな支えが垣間見えました。

どんな挑戦もポジティブに。

異国の地で、違う言語や文化の中で、家族5人がコートの内外で寄り添って乗り越えてきたことも、きっと関係しているに違いありません。

家族の混合ダブルスからつながった、グランドスラム優勝。でも、柴原選手と家族の挑戦はまだ始まったばかり。

次の勝利に向けて、スイッチ、オン!