わかるということの深み

まぁ、最近旧友と上手く行ってない訳さ。

まとまった時間が無いからで、組閣が(σ(゚∀゚ )オレが暇で屋台骨だったんだけど)崩れたのも原因。

【①主観】
で、σ(゚∀゚ )オレ目線は

皆の言い分もわかるし、じゃあ態度が気に食わない。

【②相手の想い】
もっと、うまくやってほしい≒時間をかけてほしい
(※相手のσ(゚∀゚ )オレに対する敷居が高い)


まぁ、友達だとどうしてもそのヒトの主観が優先されて意外なほどに、【暇がないと良い反論を貰えない】って気付いた。


逆に、暇過ぎたり、親戚だったりすると「良いか悪いか反論が多い」


で、特に近しい家族だと本質的な素養まで知ってるし見えるから
つまりは、人生経験があるとそのヒトの本質的に迫れちゃうし

本質の近い人としか居づらいよね。


結局、夫婦であれ、親子であれ…親戚であれ、友達であれ

存在が、近くて遠く無いと

ひいては「利益のあるなるべく近しい存在」じゃないと人は価値を見出しにくいってジレンマがあるんだねー



それに気付かず年齢≒社会的裕福=だいたいお金
のみで、人生を進めたり、貯金だけの毎日だと息苦しいって感覚。

( ゚д゚ )彡そう!その考えが染み込むほどに

「無意識に嫌な奴化」「オ・レorワタシを気持ちよくさせろやー」自己中心的、暴力的になる



あさましや



コレに関して、成田さんがいい事と言うか、当たり前のこと言ってて

結論⇒週休3日にしてみればいい(コレは暴論かつ、試しにと言うニュアンスは逃げ)

をうたってて
過程は完全に同意なんだけど、週休3日にしたところで、人は変わりにくいし、より差別が生まれるんだよね。


コレを、被害を受けるのは
女性や子供なわけですよ。