korehadaiji

今の先進国で上手く生きる為には、仮想的な自分(仮面としての自分)の環境適合性ってのが大事なのかなと。何も自分の全てをいつどこでも一貫させる必要は無いし、仮想的な自分の適応速度が上がる程にステップアップへの道が開かれやすいと思った。自分の中の別人格をRPG感覚で育成するような。


噛み砕いた説明や、分かりやすさとかが蔓延した今、消費者目線の人はいつしか「分かりやすいことが当たり前」になってしまい、分かりやすい説明でしか物事を理解できなくなってしまったのかもしれない。消費者目線、つまりいつまでも与えられる側とか選ぶ側でいる錯覚故の傲慢とも言える。

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">SNS史をまとめたら、「スロー」なネットの必要性を知った:夢に見たウェブの進化の果て<br> <a href="https://t.co/Wz9lfNIGNp">https://t.co/Wz9lfNIGNp</a><br>「内省の機会を各人がもっと持てれば、(中略)好き嫌いが渦巻く混沌とした社会から、少しは人間的な社会を取り戻せるのではないでしょうか。」<br><br>近頃感じていた違和感が分かったかも。</p>&mdash; van (@Logos_VLF) <a href="https://twitter.com/Logos_VLF/status/1053168279798243328?ref_src=twsrc%5Etfw">2018年10月19日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

計算力とは「言語-数詞と言葉による数え方の決まり(routine)」の処理能力(速度、正確性)のことを言う。

自分の語彙の中でもっとも意味が近い言葉だから、仏教用語を使って表現しているだけ。この概念は本来、書けないし描けない。