現代の移民

「イギリスなら安全」は幻だった 香港の人々はいま

2021年10月22日 10:56NHK NEWS

「早く香港を離れたいという人からメールが殺到しています」

そう語るのは、ロンドンで香港からの移民の支援活動を行う男性だ。

中国による統制が強まるふるさとから離れた人々は、異国の地でどのように新しい生活を築いていくのか。

1年にわたる取材から見えてきたのは、想像を超える厳しい現実だった。

支援した香港移民は1000人以上

その男性に出会ったのは、去年秋に放送した番組の取材中のことだった。

ロンドン市内のアパートを拠点に活動するサイモン・チェン(31)。

彼の元にはイギリスへの移住を考えている香港の人々から、ひっきりなしに相談のメールや電話が入る。

サイモンは仲間と共に、ふるさとを離れた香港の人々を支援する団体を運営している。

ビザの申請方法や家の借り方など生活再建に必要な情報を伝えたり、イギリス政府に支援の要望を提出したり。
ときには、着の身着のままロンドン空港に到着した若者から、「亡命申請したいが、英語が話せない」と電話を受け、駆けつけることもある。

活動はすべてボランティアで行っており、これまでに支援した人は1000人を超えた。

「ある事件で人生が変わってしまった」

2年前まで、香港にあるイギリス領事館の職員だったサイモン。

なぜ、異国の地でこうした活動に身を投じることになったのか。

サイモン・チェンさん
「私は政治家でも民主活動家でもなく、ただの市民でした。ある事件で人生が大きく変わってしまったのです」

転機となったのは、おととしの夏。

中国の統制が強まる中、人々は政府の方針に反対する過去最大のデモを行っていた。

サイモンは友人に誘われて初めてデモに参加したあと、中国に出張したところ、突然、警察に拘束された。

そして「お前はデモを水面下で扇動するイギリスのスパイではないか」と言われ、拷問されたと言う。

サイモン・チェンさん
「目隠しされたまま、ずっと手を上げさせられ、震えると殴られました。首に何か巻きつけられ窒息しそうでした。そして、なぜ民主主義や西洋が常に正しいと思うのか、問い詰められました」

この間、解放を求める市民の抗議が世界的なニュースとなり、サイモンは15日後に釈放された。

この経験を機に、中国による統制の強化に底知れぬ恐怖を抱くようになったという。

サイモン・チェンさん
「私は中国で何が起きているか知ってしまいました。(拘置所で)人間が毎日拘束され、動物のように扱われている。それを国家がやっているのです」

イギリスに押し寄せる香港移民

釈放後、サイモンはすぐに出国。

パートナーと共にイギリスに渡り、政治亡命が認められた。

その半年後、香港では香港国家安全維持法(国安法)が施行され、サイモンが恐れていた事態が始まった。

公共の場でデモ活動の象徴となっていた曲を流したり、民主派のスローガンの旗を掲げたりした市民が次々と拘束され、反政府的な言動をした人を通報する窓口も設置された。

自由を求める人々の声は、一気に押さえ込まれた。

こうした中、かつて香港を植民地支配していたイギリスがある発表を行った。

イギリス・ジョンソン首相
「中国がこうしたことを続けるなら、われわれは人々に逃げ道を作る」

香港の人々の長期滞在や就労を許可し、市民権への道を開くと決めたのだ。

対象は1997年の返還までに香港で生まれた「イギリス海外市民」(BNO=British National Overseas)の資格を有する、およそ290万人。
後日、資格所有者の扶養家族にまで対象が広げられた。

この発表の直後から、デモに参加していた若者や、子どもが自由な教育を受けられなくなることを恐れる家族らが、一斉にイギリスを目指し始めた。

この制度を利用し、イギリスへの移住を申請した人は6万人を超える。

1日1食で我慢する人も

香港にいた頃の貯金と時折入るアルバイトで生活をやりくりしながら、移民への支援活動を行うサイモン。

取材を始めた当初、私は、英語が話せてビジネスのスキルもある香港の人々は、イギリスにたどり着けさえすれば、順調に新生活を築いていくと思っていた。

しかし、現実はそう簡単ではなかった。

サイモンが支援するひとり、ジム・ウォン(30)。

香港でテレビ制作の仕事をしていた若者だ。

ジムにはデモ参加後に警察に検挙された経験がある。
国安法施行後、起訴されれば公平な裁判を受けられずに拘束されるのではと不安になり、逃げるようにイギリスにやってきた。

イギリス政府のひごを受けられるように政治亡命を申請しているが、審査はなかなか進まない。

その間は就労できないため、生活は困窮を極めていた。

ジム・ウォンさん
「1日1食で我慢することもあります。誰にも別れを告げず香港を離れましたが、自分の選択は正しかったのか、心が乱れることがあります」

中国人向けの企業しか就職先がない

香港では外資系の調査会社で高収入を得ていたアラゴン・ホー(37)も、渡英したものの暮らしが立ちゆかないと相談に来た。

移住して半年以上たっても、仕事がなかなか見つからないという。

アラゴン・ホーさん
「生活は厳しいです。コロナ禍で企業がどんどん解雇していて、仕事は奪い合いの状態です」

ロックダウンのさなか、アラゴンがようやく見つけた仕事はタピオカ店のアルバイト。

しかしそれも、3週間で閉店してしまった。

6月、アラゴンはこれまで避けていた中国系の企業から仕事のオファーを受けた。

中国人向けの不動産会社だった。

いまイギリスの不動産業界では、中国人富裕層向けのビジネスが急成長。
各社がこぞって中国語のできる人材をかき集めている。

アラゴンは悩んだ末、そこで働くことにした。

だが不安が拭えないという。

アラゴン・ホーさん
「収入が必要だったので、しかたないです。でも、中国人向けの不動産会社なので、うっかり中国政府を批判するような発言をしたら危険です。中国大使館などにつながりがあるかもしれません。同僚も皆、中国人なので、話す相手は誰もいません」

中華街の香港出身者にも頼れない

ロンドンに暮らす華僑の多くは、香港の出身者だ。

だがサイモンら新たな香港移民にとって、華僑には頼りづらい事情があると言う。

3月に中華街商会が出した声明。
「中国を愛する者が香港を統治する」とする香港政府の政策を支持すると表明した。

そこにはイギリスの華僑の団体、70近くが名を連ねていた。
さらに中華街商会の代表は、香港の治安のため国安法を支持するという立場を示している。

イギリスも香港と同じ状況に

イギリスでも増し続ける中国の影響力。

香港で抗議活動が封じられる中、サイモンは移民の仲間と共に、香港の自由を求める声を発信する街頭活動にも力を入れている。

しかし最近、そうした「言論の自由」が脅かされる事態に直面しているという。

ある日サイモンは、一緒に活動する香港からの留学生から「中国人留学生による嫌がらせに悩んでいる」と報告を受けた。

学生たちが大学内で香港の民主主義の危機について伝えるイベントを行ったときのこと。

突然、中国人留学生数十人に取り囲んでののしられ、イベントは中止に追い込まれたという。

このとき中国人留学生のひとりが、イベントを主催した学生たちの顔を撮影し続けていた。

香港からの留学生
「写真が中国政府に送られ、ブラックリストに載るのではないかと怖かった。香港に帰ったら、国安法違反で逮捕されるかもしれない」

香港政府は、反政府的な動きを処罰の対象とする国安法は海外でも適用されるとしている。

イギリスでは、中国からの新規の留学生が10年で3倍近くに増加しており、学生たちの調査では、こうした嫌がらせが多発していることがわかったという。

香港からの留学生
「“イギリスなら安全”と思っていたが、幻だった。中国の影響力はあらゆるところに浸透していた」

サイモン・チェンさん
「怖い。多くの犠牲を払ってやって来たのに、香港と同じ状況になっていたなんて」

サイモンたちはイギリス政府に香港移民の課題を訴えてきたが、期待していたほどの支援は受けられていない。

“中国の諜報員がお前を連れ戻す”

サイモン自身も、中国の影におびえながら暮らしている。

移民の支援活動を始めてすぐに、国家の分裂を図ったとして“国安法違反”で香港警察から指名手配されたのだ。

イギリス政府は、サイモンの亡命を受け入れ、香港への身柄引き渡しを行わないことを決めている。

だがサイモンは強制的に中国へ連行される不安を抱えるようになった。

サイモンの携帯電話には、「中国の諜報員がおまえを連れ戻す」などと書かれた脅迫のメールが、見知らぬ相手からたびたび届くようになっている。

誰かに後をつけられている感覚を覚える日も少なくないという。

サイモン・チェンさん
「怪しい男が車から見ていました。疑心暗鬼になり、常に神経質になっています。逮捕されれば中国の刑務所で終身刑でしょう」

「さようなら」を言えなかった両親

1年間の取材で、サイモンが唯一涙を見せた瞬間があった。

香港に残してきた両親の話を聞いたときだ。

サイモンはイギリスに亡命して以来、両親に危険が及ばないよう、一切連絡を絶っている。
家族の写真はすべて削除し、手元に残したのは、中学生のときに母が買ってくれたTシャツだけだ。

工場労働者だった両親は、一人息子を大学に進学させたことが誇りだった。

サイモンは出国直前、最後に一緒に食事をしたときに「香港を離れる」と伝えなかったことが、ずっと心にひっかかっているという。

サイモン・チェンさん
「心配させたくなくて、言えなかった。ふだんどおり笑って何もないふりをしました。いつも夢に両親が出てきて、苦しくて、泣きたくなります。一生懸命育ててくれたのに、こんなことになってしまった。両親がいつか新聞などで私の活動を知ったとき、どうか誇りに思ってほしい」

自分が自分でいるために

家族や仕事を捨て、多くの犠牲を払って選んだ道。

厳しい状況は続いているが、少しずつ理解者も増えている。

ことし夏、自身もパキスタン移民の子孫であるロンドンのカーン市長が、90万ポンドをかけて香港移民の生活再建を支援することを決めた。

取材の最後に、サイモンはこう語った。

サイモン・チェンさん
「多くを失いましたが、後悔はしていません。私は、自分が自分でいるためにこの道を選んだのです。イギリスにいても、私たちは永遠に香港の人々を忘れません。大切なのは、信じる種火をなくさないこと。人々が孤立無援だと感じないよう、声を上げ続けます」

サイモンたちが大切にしている「言論の自由」や「民主主義」への思い。

それは、イギリスに統治された時代があったからこそ植え付けられたものだが、それゆえに、中国による統制強化を受け入れることができず、故郷を失うことになった。

時代のうねりに翻弄され、イギリスに流れ着いた香港の人々。

その選択が報われる日が来ることを願わずにはいられない。