感謝と責任2!!

2021年4月12日 15:10NHK NEWS

フィギュアスケーター浅田真央さんは、2017年に引退後、ファンへの感謝をこめてサンクスツアーと題したアイスショーを3年にわたって全国で行い、この4月でラストを迎えます。実は引退した直後はスケート靴を手放すことまで考えたそうですが、いま何を思うのでしょうか。

「感謝の滑りを届けたい」

フィギュアスケーター浅田真央さん(30)が自らプロデュースした「サンクスツアー」は、3年間で公演はのべ50か所、千秋楽まであわせると202公演にのぼります。

浅田真央さん
「選手の時にこれだけ長くできたのも、応援してくださった皆さんや支えてくださった皆さんのおかげだと思っていましたので、全国に行って感謝の滑りを届けたいと思ってこのショーがスタートしました。最初は10か所の予定だったのが、気づいたら3年やっていて、これだけ長く回るとは思っていませんでした」

「感謝の滑りを届けたい」という浅田さんですが、選手を引退した直後からそうした思いを持っていたわけではありませんでした。

“楽しかったスケート”が…

浅田さんは5才でフィギュアスケートを始めました。

氷の上で自由に滑る感覚や、ジャンプなどの技ができるようになるのが楽しく、夢中になっていったといいます。

競技をはじめるとすぐに頭角をあらわし、10代の頃からは世界の舞台で活躍するようになります。オリンピックにも2度出場しました。

しかし、活躍を続ければ続けるほど、周囲の期待にこたえなければならないという重圧を背負うことになりました。子どもの頃の、“楽しかったスケート”は、“負けてはいけないスケート”に変わり、重くのしかかったのです。

浅田真央さん
「選手生活の最後は自分がスケートを楽しむよりも、何かやらなきゃいけないっていう気持ちになってしまって、自由に滑ることができていないと感じていました。選手として続けていたらずっとこの気持ちなんだなと思ったので、『じゃあもうスケートやめよう』っていう気持ちのほうが強くなりましたね」

2017年に引退

浅田さんは20年間続けてきたスケートと決別することを決め、2017年4月に選手生活を終えることを発表。

新たな人生の目標を見つけようと模索を始め、再びリンクに戻ることはないとスケート靴も手放そうと考えていました。

しかし、その思いをとどまらせる出来事がありました。これまで自分を支えてくれた日本中のファンから、もう一度、浅田さんが滑る姿をみたいという声が寄せられたのです。

浅田真央さん
「一人で旅をしたり、ゆっくりする時間のなかで、自分の気持ちも徐々に変化していきました。引退したあとは自分もスケートは滑らなくていいのかなって思っていたんですけども、『まだまだ私のスケート見たい』『まだまだ見られてないよ』っていう方も本当にたくさんいて下さって、それから自分自身も、恩返ししないとっていう思いはすごく強くなりました。スケートをしないなんて、今考えたら、スケートに対してなんでそんなに失礼な事をしたんだろうなと思います」

ツアーに込めた感謝の気持ち

競技とは離れた自分の演技でも、皆を元気づけることができる、それが自分を支えてくれた人たちへ感謝を伝えることになると信じ、3年前からサンクスツアーを続けてきました。

プログラムは、浅田さん自らが、振り付けから衣装まですべてをプロデュースしました。

現役時代の演技にアレンジを加えたり、お客さんに直接手をふったりするなど、より楽しんでもらえるように工夫しています。

例えば、2015年から演じてきた「蝶々夫人」では、相手方を起用することで、蝶々夫人の切ない心情を、現役当時にはできなかった演出で表現しています。

また、2014年ソチオリンピックのフリーで演じた「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」を、あえて当時と同じデザインの衣装を身にまとい、現役時代の姿を思い出してもらえるようにしました。

観客の女性
「ずっと大ファンで、息子は真央ちゃんから頂いて真央人という名前なんです。やっぱり生で見る真央ちゃんは本当にすてきでした。本当に感動しました」

観客の男性
「やっぱりちょっと泣けてしまう曲が多かったです。曲がかかった瞬間に、現役時代のそのときの光景が浮かぶんですよね」

浅田さんは、このアイスショーを通して、取り戻したものがあるといいます。それは、純粋にスケートを楽しむ気持ちでした。

浅田真央さん
「選手の時は、試合に対する恐怖もあってスケートをあまり楽しめていないっていう気持ちでずっとやっていたんですけど、このアイスショーを始めてからは“負けないでやるスケート”から、“魅せる”“お客様に届けたいっていうスケート”に変わりました。自分も本当に心からスケートが楽しい、スケートが好きっていう気持ちがよみがえってきたので、これは本当に最高のギフトだったなって思います」

コロナ禍だからこそ


しかし、去年、新型コロナウィルスの感染拡大で、予定されていた公演は行うことができなくなりました。それでも浅田さんは、公演の再開を信じ、振り付けの見直しなど準備を続けてきました。

コロナ禍だからこそ、自分の演技でお客さんを元気づけたい、その一心でした。

浅田真央さん
「大変な思い、つらい思い、不安な思いをされているかたもいるとおもうので、この時間、この場所だけでも、最高の時間をお届けできるようにという思いはすごく強いです」

緊急事態宣言が明けた3月。延期になっていた地元・愛知での公演が再開されました。

浅田さんが、特に思いを込めた演出は、ショーの冒頭です。黒いマントを頭から被り、滑り始めます。

先が見えない不安や暗い気持ちを表現しています。しかし、フードをとると、明るい衣装に明るい表情で、重苦しかった雰囲気は一変します。

自分自身と重ね合わせ、つらい時期があっても必ず乗り越えられるというメッセージを込めました。

浅田真央さん
「暗いトンネルの中に入り込んでしまったところをイメージして、ちょっとずつ光が見えて、最後は笑顔で人生ってすばらしいんだよっていうのを表現できたらいいなって思って。スケートはもういいかなって思っていたのに、こんなにすばらしい舞台で滑らせてもらって、ありがたくて幸せです。だからこそ私の滑りで、やっぱり元気になってもらいたいという気持ちがすごく強いです。最後の千秋楽の公演まで、最後の1秒まで、全力で気持ちを届けたいなと思います」

3年にわたるサンクスツアーは4月で、ラストを迎えますが、浅田さんはツアー終了後もスケートにかかわりつづけることで感謝の気持ちを伝えていきたいと考えています。

浅田真央さん
「選手時代の恩返しとして始めたアイスショーなので、その区切りとして4月で終えて、ここからはまた新たなスタートになると思います。10代の頃からずっと応援してくれている方もいるので、私が元気な姿を見てもらうことで皆さんも安心できると思うので、また皆さんと一緒に進んでいけたらなって思っています」