年よりの仕事の在り方について考えた
やりたい事をやるのか?⇐⇒需要や身辺者(社会)の総意でやるのか?
そもそも、年寄りは☝の右側【需要や総意・要望からは例外的に外されて行く傾向にある】コレが気にかかるしバランスを崩してるように思う。
仕事≒やるべき事 って前提・共通認識 これは日本国憲法の勤労の義務で書かれてるケド 能力面、健康保険という間接的事実がコレを捻じ曲げてる
そもそも、人間の歴史を考えれば、狩猟0r採集⇒家畜、栽培コレの確保
次いで、住むところ 衣食住 な訳だ。古代の当時は年寄りもいずれかにずっと携わっていた筈だ。
働かざる者食うべからず。コレに反している年寄りが多いから、下に続くものが堕落していくというものだろう。
世界が広くなり過ぎたせいで、1人一人が中庸を取りずらく、満足や幸福を得れなくなっている。
あ~。個人の意識を拡張していく過程でどうしても、堕落が蔓延するんだろうな。
似た違う話
機械工具・道具を使ってて思ったのが
パワーのない機械は「恐る恐るorゆっくり作業」が必然なのだ
結果時間効率から見て「できる事が減るイメージ」という結論じみたものが出てくる。
で、下手に頭のいいと言うか、本当に頭のいい人間が減ったが故にその結論じみたものに固執しすぎているように思う。
具体的には、体を鍛え⇒頭を鍛え⇒複合し⇒長所を伸ばす⇒伸ばせなかった部分を他人に補ってもらう⇒更なる複合 人はみなコレを何回も理解するまで経験すべきなんだろうな。
つまりは、一生競争しなくてはならない事実から逃げない事
その上で、自分でその宗教的競争概念から抜け出す事コレが大事なんだと思う
そうだ!複合し=変化だよ
1回目の複合と2回目の更なる複合を勘違いして、逃げる事があたかも徳で得で解くみたいな風潮が蔓延してるのが終わってる。自分もそれに毒されかけた
まーでも、人は人他人は他人自分は自分でやらないと
年寄は反面教師でしかなく、競争の簡単に抜ける相手としては都合がよい。
だから、考えようによっては高齢化社会は歓迎すべきものであって、年寄りのお金や権力などに依存しない生活が楽しいんだろうな
新しい世界でもあると思う
昔はやったものの完全上位互換を目指すべき