時や人や心を「川」や「流れ」と言うのはこの「素読」って意味を凝視して考えると納得いきやすい。とおもう
(232) 【小林秀雄 講演】 信じることと知ること - YouTube
物事を「推敲」するにあたって「かむかふ(付き合っていく)」には、結局は時間しかないんだよ。という一見身もふたもないが
・人によって千差万別視点が在る
・自分の視点も、その人の視点で変わる
・住んでるところで変わる
・自然や天気で変わる
ああ。だから、同化は出来ないケド頑張って近づく事
或いは、その様な気持ちを「かむかう」って言ってるんだね。
とある物書き。主張者の例を出して。時には、
山の民って言う例を出して、受け取り方の方向性、自分の感受性の話をしてる
ひいては、人の感受性をくすぶってるし、自分のモノを確かめてるね。
だから、最後の方に「理性」と町人やインテリとの確執を比較しながら、心の在り方を語り掛けてる。また、反芻してる。
(キッカケの前の動画の人は動画主は、自慢したいが故にはやとちって宣伝してるけど。)