ビリギャル9年後

いい記事だね。

 

ビリギャルのその後

2022年10月24日 14:33 NHK NEWS

「ビリギャル」-学年ビリの成績の女子高校生が慶應義塾大学を目指して猛勉強するあのお話です。本の出版から9年、映画上映から7年たちました。見事、志望校に合格したビリギャルはその後どんな道を歩んでいったのか、モデルとなった小林さやかさんに聞きました。

「人を幸せにする仕事」を求めて

Q当時、「ビリギャル」の映画を観たんですが、本当に心に刺さりました。

ビリギャル 小林さん
「わっ!すごい嬉しい。
『ビリギャル』の本が出版された時も、誰かの背中を押してあげられるメッセージが伝わったらいいなって思ってました。」


小林さやかさんプロフィール】
1988年生まれ。「ビリギャル」のモデル。慶應義塾大学卒業後はウエディングプランナーとして働く。2014年にフリーランスに転身し講演活動などを実施。2022年にアメリカのコロンビア大学教育大学院に合格しニューヨークへ。


Q大学に入ってからの生活はどうだったんですか。
「また楽しい人生が始まったぞって思って、広い世界を見たいと思ったので勉強以外にいろいろやりました。
東京ガールズコレクションの裏方とかインターンとか。」


【ビリギャルとは】
成績が学年最下位の女子高校生、いわゆる「ギャル」が難関・慶應義塾大学の受験に挑戦し、1年半の猛勉強の末に見事現役合格を果たす実話を描いた。書籍が2013年に出版され大ヒット。2015年には映画にもなった。そのモデルが小林さやかさん(34)。


Q就活はどうだったんですか?
「周りの人たちは、広告代理店とかテレビ局、商社、といった有名な大手企業ばっかり受けていたんですが、私はどうしても興味がわかなかったんです。有名な会社に入ってお金を稼ぐことにときめかなかったし、終身雇用も私は勤め先は変えてもいいと思っていました。『こういう仕事がしたいです』っていうのがなかなかなくて…。それで『私は一体何にときめくんだろう』と思って自己分析をすごいしたんです。」

Q自己分析の結果は、どうだったんですか?
「いろんな人に「私はどういう人ですか?」ってインタビューしてノートに全部書き出しました。
そんな時、アルバイトをしていた居酒屋の入り口に「うまいものを食わせる店ではなく幸せを食わせる店」って書いてあったことを思い出して。
そこで働く従業員がみんな「いい店を作る」ってビジョンと意志をもって働いていて、それに気が付いた時「私はこういう社会人になりたい」と思ったんです。」

Qアルバイトがきっかけでやりたいことに気が付いたんですね。
「そう、私はシンプルに、人を幸せにできる仕事がしたいっていうことに気づいて、だったらサービス業だって思ったんです。
それでザ・リッツ・カールトンホテルの本を読んだら「こういうことがしたい!」って思って、いてもたってもいられず直接ホテルのフロントまで行きました。」


Qホテルのフロントに!?
「そこでフロントの人を通じて確認してもらったんだけど、中途採用しかやってなくて。「修行してきます」って伝えて帰りました。
それで、別のサービス業の最高峰は何だろうと考えた時に「ウエディング業界」だと思って、ウエディングプランナーとして入社しました。そうしたら天職だと思っちゃって。」


Q天職に巡り会えたんですね!
「結婚式の準備期間、プランナーは新郎新婦とたくさん対話します。その中でお二人が持っている希望や願望を引き出し、さらにそれをいろんなアイデアに落とし込んでいくんです。私はその過程が本当に楽しかった。ギャルの時に培ったコミュ力のおかげで、新郎新婦ともいい関係を築けていたし、天職だと思えましたね。
やはり自分の特技や好きなことをちゃんと知っていて、それを軸に仕事を選ぶことは、高いパフォーマンスにも自分自身の幸福度にもつながると思います。」

Q仕事をしていて苦しいことってありませんでしたか?
「いっぱいあったけど、いい結婚式を挙げることができると嫌なことが吹き飛ぶんです。本当に楽しかったですね。」

自分にしかできないことを

Qそんな中、講演会活動はどのように始めたんですか?
「書籍が出版されたあと、一番最初は小学校で話をして欲しいと言われたんです。行ってみると、みんなビリギャルを知ってました。」

Qビリギャルが出た当時はすごかったですもんね。
「私は逆にびっくりしたんです。なんで私の話を聞きたいんだろうって。私はたかだか受験をしただけで、慶應生って周りにいっぱいいたから、なぜっていう感覚でした。ただ、小学生がみんな私の話を聞いてくれたり保護者から相談もされたりして。私って人の人生に関わる仕事ができるのかもしれないってその時に思いました。
ウエディングプランナーの仕事は大好きでした。でも私よりいいプランナーはいっぱいいるけどビリギャルの本人って私しかいないなって思って。
ビリギャルで人生が変わったって言ってくれる人がこんなにたくさんいるんだったら、もっと必要なメッセージを直に伝えていきたいなと思って、講演活動をしていくことにしました。」

映画の反響から気づいたことは

Q映画は、書籍が出た2年後に公開されたんですよね。
「映画のビリギャルって、海外でも上映されて、いろいろな国の人が見てくれているんです。
それで、英語を習っていたフィリピン人の先生も見てくれていたんですが『映画の中で1つだけ理解できないことがある』って言われて。」

Qどのシーンだったんですか?
「『あなたが大学受験に挑戦しようとした時、なぜあんなに周りの人は止めたの?』って。
『あのシーンはいったい何なの、止めるはずがない』って言ったんです。」

Qえっ…?当たり前に受け取めていた気がします。
「やりたいことは本人が決めてやればいいじゃないという考えなんだそうです。文化が違うと、私たちの当たり前が全然当たり前じゃない。挑戦しようとする人を一生懸命止めている姿が、外国で生まれ育った人から見ると不思議に写っていたんですね。」

仕事とは“誰かを幸せにすること”

Q小林さんにとって仕事とはなんですか?
「仕事、仕事ね、私って仕事なんだろ?笑」

Q「どこかの誰かを幸せにすること」
「誰かを幸せにできたり、誰かがありがとうやそれ使いたい買いたいって言ってくれたりして初めてお金のやり取りがうまれると思います。それによって給料がもらえることが働くことだと私は思っていて、誰も喜ばないことやってもそれは仕事として成り立たないはず。
どこかの誰かは必ず幸せにするものでなければ、仕事と言えない気がすると思っています。伝わりますか?」

Qはい。では実際も誰かを幸せにしているって思いながら、お仕事されているんですか?
「はい。ただ私は欲張りだから目の前で見たいんです。だからウエディングプランナーだったし、講演もダイレクトに反応が来ます。
だけど、確かに最近フェーズが変わってきていて、問題の根本を解決するには自分の承認欲求を満たしているだけじゃダメだって思ってきました。私が子供たちに伝えるだけじゃなくて、周りの大人が彼らの能力を引き出して幸せにしてあげられるように、私はアプローチをしたい。
それは必ず誰かを幸せにすることにつながると考えています。」