配信 2023年1月23日 10:30更新 2023年1月23日 12:04
NHK NEWS
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車いすテニスの世界王者で、すべての四大大会とパラリンピックで優勝する「生涯ゴールデンスラム」を達成するなど、数々の偉業を成し遂げた国枝慎吾選手が現役を引退することになりました。
関係者によりますと、世界ランキング1位の国枝選手は、22日をもって現役を退く引退届を国際テニス連盟に提出したということです。
38歳の国枝選手は、おととし東京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得し、去年には長年の悲願だったウィンブルドン選手権を制して、すべての四大大会とパラリンピックで優勝する「生涯ゴールデンスラム」を達成しました。
関係者によりますと、その後はモチベーションの維持に悩み、今月はじめに引退を決断したということです。
国枝選手は長年、世界の車いすテニス界をリードしてきた第一人者で、四大大会のシングルスでは歴代最多となる28回の優勝を誇るなど、前人未踏の記録を次々と打ち立ててきました。
パラリンピックには2004年のアテネ大会から5大会連続で出場し、シングルスでは2008年の北京大会と2012年のロンドン大会で連覇を果たし、おととしの東京大会で3つ目の金メダルを獲得しました。
国枝選手は来月にも記者会見を開いて、引退を決めた詳しい理由などを説明する予定だということです。
国枝選手は22日の正午前、自身のSNSを更新し、22日をもって現役を引退することを明らかにしました。
この中で国枝選手は「2023年1月22日付けで引退することになりました。夢がかなった東京パラリンピック後から引退についてはずっと考えており、昨年念願のウィンブルドンタイトルを獲得してからは、ツアーで戦うエネルギーが残りわずかであることを感じる日々でした。昨年10回目の年間王者になったことでもう十分やりきったという感情が高まり、決意したしだいです。2006年に初めて世界1位になってから17年。最後まで世界1位のままでの引退は、カッコつけすぎと言われるかもしれませんが、許してください」としています。
また、車いすテニスの競技がさらに発展していくことへの願いや、自身の活動を支援してきたスポンサー企業や関係者、それに家族のほか、ライバル選手たちやファンへの感謝を述べ「2月7日に記者会見を予定しているので、私の気持ちを詳しくお伝えしたいと考えています」としています。
そして最後に「最高の車いすテニス人生でした。今後も車いすテニスへのご声援をよろしくお願い致します!」とつづり、自身の代名詞でもある「オレは最強だ!」ということばを添えました。
“魔法のことば” 「オレは最強だ!」
国枝選手が初めて世界ランキング1位になったのは2006年10月、22歳の時。それから実に20年近く、車いすテニス界の頂点に立ち続けてきました。
そのモチベーションの支えになったのが、「オレは最強だ!」という、“魔法のことば”です。
このことばを送ったのは、国枝選手が全幅の信頼を寄せるオーストラリア人のメンタルトレーナー、アン・クインさんです。
2人の出会いは2006年1月、全豪オープンの会場でした。
当時の国枝選手は、世界ランキング10位に入るか入らないかの選手。それがたった10か月で世界ランキング1位に上り詰めました。
いったい何があったのか。
2人が出会った日、国枝選手はクインさんに「僕は世界一になれると思いますか?」と尋ねました。クインさんが「そう思う?」と尋ね返すと、国枝選手は「なりたいです」と答えました。でも、クインさんの目には、その姿は「自分自身を信じていないような感じ」に映ったといいます。
そこで、こんなアドバイスを送りました。
「『なりたい』ではなく、『なる』と毎日言いなさい」
さらに、クインさんは国枝選手を選手用の食堂に案内し、皆の前で「オレは最強だ!」と叫ぶよう促しました。こうして“魔法のことば”を伝えたのです。
「慎吾、鏡の前で毎日『オレは最強だ!』と言い続けなさい」
国枝選手は、このことばとともに日々のトレーニングを積み重ね、10か月後、世界ランキング1位になりました。
国枝選手は後に「試合にすごく集中しやすくなったし、心が強くなるからこそ、練習もさらに強い強度で取り組むようになった」と話しています。
国枝選手は試合中、弱気になりそうな時にこのことばを思い出すため、白いテープに「俺は最強だ!」と手書きで書いてラケットの内側に貼っています。
“魔法のことば”と出会ってから15年後、国枝選手にとって決して絶好調ではなかった、東京パラリンピック。その時も、鏡の前で何回も何回も言い聞かせ、自信が持てなかったみずからを奮い立たせたといいます。
「オレは最強だ!」
この言葉によって、国枝慎吾という最強のプレーヤーが生み出され、最強であり続けることができました。