TV見るという気づき

 東大卒業生の新生活のTVみて、「見なくてもいい」を変えようと思った。2,3日前から、他人との比較で、明確にとても簡単な知識が無かったように感じたからだ!

 時間があるなら、見たいという思いは変わっては居ない。

もともと新聞やらドキュメントやら、野球やら。世間の大きな動きには注意を払ってた。興味もキチンと育ってたらしい。年々。当時の5年生くらいから。

 

 他方では、広告・宣伝が無駄すぎて「TVは無駄が多いからリアタイでは見ないほうがいい」気味に舵を切っていた。

しかし、自分は「情報の取捨選択ができる」から可能であれば(時間)あればあるほど、見れば見るほど楽しいのだ。

 

 そういう観点でも、【4月に辞めてよかったな】って思う。単純に時間おカネとかだとそんなに関係ないけど。夜勤問題と似てる。俺ん中の「四月問題と4月アド」

 

 4月のほうが、何故か人はまともな人考えが増えるのだ。行動に適しているのだ。

暖かさと、人口の仮増員(とでもいうもの)旧来の新年度予算的なもの、も関係しているのだろう。

 

 

 テレビの内容のはない  「ZIP!の元東大生が卒業生を直撃」

で、仮かもしれないけど、非常にとても大人っぽいこと言ってた。

感じたこと。

①時代の違いと②学力環境の違い!?なのかな③本心で言っているのかな?言わされてないか?

 

①が特に分化する→

1基礎的な物事の優先の考え方

2将来設計(目標・志向)

3多様性(そもそもの許容・興味範囲)

4過去を振り返ってない(TVの功罪で時短のため消している可能性)

 

3の意味ではいい意味でも・悪い意味でも【就職先が決められた事】=【自分の興味の義務&矯正】が行われている様にも思えた

あと、人生を歩くペースとかだよね、此れは東大生はスベカラク「早い」ので遅い人を取り入れて欲しいし、取り入れてる節は少しだけ「オールウェイズ的映画みてます」で語られてた。

 

 4は若者だから、当たり前。仕方ない。ってものもある。

大谷とか、内村とか、スポーツだったらむしろそればっかやるのにw

 

 

 あっ気づいたね。俺。

 

人生のADとは、4を強要できること