近代人と近代人の味が少しでも残ってる50代

今日は「1日中寝てて勿体ない」➕「仕方ない」ってのが共存してて尚更テンション下がる部分がある

並行して

人の成長にしか興味ないみたいな人になりつつある。

 

ふと、結構年上の50歳前後の人を見るとその人の長所や特徴が詳細に捉えれるくらいには、自分も年取った。

 

で、「島谷ひとみ」さんのトーク番組みてて「この人も多様性というか自分の裾野を広げる事でしか、もう楽しめなくなってるんだな」って思った

 

で、その際やっぱ残念ながら「他人視点の人生の⭕☓」ってやっぱあるな、と痛感もする。

 

この差は何なのか?実績も重いけど、【若い頃と現在の時間の費し方】なんだろうなと、結論にも近いものを持ってる。σ(゚∀゚ )オレは。

 

で、あ〜。(ヒトリゴトだが、繋がった)最近の若者は「スペックは高いが、完全停止するタイミングがあるな」って思ったのよ。

自分への言い訳と比較にもなるけど、「全く他の分野のレベル上げしてた」なんだが、他人視点はソレは無価値で有ることが多い。

 

(あ〜。コレもヒトリゴトだが)人の良さとは。σ(゚∀゚ )オレは「適切に相手を評価できること」ってのは今も昔も変わってなくて、どうしてもイメージに頼るコトになる。

 

 

【何も出来ない時に何をするか?】みたいなのが、自分のテーマにあるんだろうな。

 

 

遠回りしたけどタイトル本題

「若い人は物凄いスピードで、ある位置迄は達成するのに途中で完全停止してコンピューターみたい」

そう思ったのがきっかけ。

 

でも、よくよく考えれば当然で「道」と同じなん。舗装された道は通るけど、未開地にはイケませ。ただソレだけ。そしてソレが宗教になる。

 

むしろ、自分は「ソコからが本題だし、楽しいんでしょ」って思うから。

 

でも、護られた存在でいたい。責任を負いたくない。自分のいのちを⭕一般的に大切にしたい(結果怠惰に投資して出来てない)そんな流れなんだろうな。

 

要するに、自分への無い物ねだりというか、理論の逆というか【自分の人生観の真逆が感情視点全く理解出来ない】というお話だな。

 

 

まぁ、こう言う「自分の中での思考の癖やカンガエカタノ整理」を⭕しない⭕出来ない人が多過ぎるから世の中は、あまり良くならないし、変化がゆるやかだったりなんだろうね。

間接的に「人を頼らない、信じない」でもまぁ←ソレは若さの究極的特権で。でも、ルールによってソレはある程度まで可能で。でも、出来ない部分もあるってはなし。

 

結果自分もソレを、なぞってるな感はある。ただし確実に自分で切り開いた道は多いのが自信になってる。足場の成分を知っている。

 

 

 

思考の癖や、思考の整理って、「そうじ好き」に似てると思う。

どうやら、自分はかなり度を越した「掃除好き」らしい。ただし、汚いのもある程度は大丈夫。

 

また今度、掃除について考えよう

 

そうだね。

考える素材が全くない(モノやお金の無さの嫌悪)

知らないものがあるのが心底イヤ(自由が好き)

 

考えちゃったケド「ブルーオーシャン好き」「意味の無いものの意味を、知ってるし、追求してる」んだろうな

 

コレは子供好きって親の育成論&価値観を完全に踏襲して消化してるね。

 

 

 

だから、変わろうとして諦めてる年寄りが、物凄く嫌いって事。親が嫌いの理由付け。なんだろうな