人は器を砕いてみちを作る

坂本九心の瞳だね。

 

嫌な奴から、ふと学んだ。今朝。あいつは器は当然、人生の道幅が、狭いなと。

心意気が器が、小さいし、体力もない。そうすると自分の人生という道に一処に留まって、その狭い道のを、ココロ狭く有効利用しようとする。というか、生きてくと決めたら、ソレしか出来ない。通行料なり、小賢しい駐車料金で、稼ぐのだ。

そんな感覚を覚えた。

 俺はむかしから、そう云うのは嫌だった。広い道がいい。広い道に憧れる。道が狭ければ広くしようとする。殺人鬼やクマやらが通らない限りは、道に色々な規制はしたくない、されたくない。

道に必要なのは、持ち主と管理人を明確にし、本人が自分の管理内はいつでも戻ってさたり、行き来出来るように、心と時間と体力とを揃えてる必要があると思ってる。そう、気持ち的にかがんでやることに加えて、戻ってやることをもいとわない人間性だ。ただし、当然プライバシーは考慮する。

自分の道の様に、友人知人の道も歩くけど配慮は忘れない。

同じ道だし、遠くに、新しいモノを見に、目的のためには他人の道は使わなきゃ。その時お金で踏みにじるって事があってはならない。一方通行の片道切符になる。

農道や山道の入口だけ、看板と舗装して人を騙す人が多いように思う。そう。、料金所や自販機だけ増やすのだ。

一見アド(笑)

 

 

人は。自分は。誰のために生きるのか!?考えるべき。

絆っていうのは道と道の接合点なんだね。

 

改めて、人生はなかなか見ることしか出来ない。ソレこそ自分は歩いてるだけだから、自分の心って見えないからこその、心へのひとみを大切にするって事だね。