悲しみに向き合う時間、抗力が人間のちから?

なんか周りに合わせるようで、平均点以上とってれば「優越感を得れて生きてる心地がする」って人が多い。

自分もそう云う部分があったし、あるけど、1つ尖ることによってその意味を知ったよね。

人から必要とされる可能性が高い
コレが目的の行動なのよね。

だから、「自分が少しだけ勝ってること」にはあまり意味が薄い

うすいってのは、小さな優越感や、格下相手には楽ができることとか、片道キップの楽さ。




それと、似た感覚で自分の意志で楽しみやら、喜びを理解できない人間。
人に操られてるのに、ソレを幸せと勘違いする。
まぁ、大なり小なり誰にでもソレはあるけど、自己保身とネバーランドばりの理想郷りろんで
物事を知ろうとしない人
結果差別と侮蔑にしか判断、価値基準がいかない人

そうだね。
きれいきたない。うつくしさきたなさ
コレばっか口にしだす。

人間性のきたなさよ



で、そう云う人多いから見てるとどんどん悲しくなってくるんだよね。


でまぁ、悲しさに耐えるって言ったらカッコつけだけど
ある程度みんなやってて


ソレを、現実のものとして対抗手段を考える人が強いんだと思ったね。

大概、人間って
麻痺させるor無視する、させる って方向に舵を傾けるから



まぁ、コレは非常に良く無い?σ(゚∀゚ )オレの特性として最初にもう結構無視をしてるんだよね。


だからその後は向き合うしかない