圧死のその後

日本ではむかし、花火大会で事件が在った。

持論・結論は、当時から「都会のデメリット。そもそもその様な危険地帯に行かない事」変わらない。

 

今回の勧告ハロウィンの場合は、わざわざ目的のない遊びに参加しない事。

そもそも人が異常におおい+夜無暗に出歩かない+裏通りなど本来人気のない(危ない裏道)に行かない

等々、常識を身に着けて居れば避けれた。花火より行く事を断念出来た様に思う。

 

でも、ソレに関わる人

自分自身が感情ある人間である以上

 

起きてしまった事故にやるせないモノはどうしても感じる。

また、上に書いたような常識=危険予知を他人や会社、政府に一方的に押し付けてるのは解るしおかしいと思う。

ただ、それくらいやるせないって事もわかる。

くわえて、「参加は避けれないモノ」という認識が若し有るのなら、確かに「事件も避けれなかった」という認識に変わってくる。

でも、その様な捉え方は「自然災害」みたいなものだから、本当に誰かの所為にするのはオカシイ。

 

ただ、起こってしまった事で今なお心に傷や、人生的実際の不都合がどうしても生じており

それもまた重い業だなって思いました。

 

 

そう【避けられないにも関わらず、人が死ぬと言うこと自体で世界が、その関係者の人生が大きく変わる】そう思ったし

戦争もそうなんだなと思う